20011年7月30日(土)夕方、沢山の山にご一緒させて貰った山友達・笠原正雄さんは、北アルプス槍ヶ岳を
下山中に不覚にも足を滑らせて滑落し帰らざる人となった。
彼はハンドルネーム・obake隊長さんの呼び名で沢山の山仲間に親しまれた人である。
彼も予期せぬ不覚を取ってしまったが、誰もが不覚と不慮の事故は予測出来ない。
ベテランでも「何で?」と思う不覚を取っている人も多々居られ私達に警鐘を鳴らしてくれていると思っている。
私も笠原さんと数十回と山に一緒に登り、これからも山を楽しめると期待していた山仲間である。
彼が元気な時から几帳面に纏められた山記録を私のHPに載せて山行きの参考にとお願いしていたが、彼と同行し
たワードで送って貰った山記録をPDFファイルに変換しアップロードする方法が解らずに実現出来なかった。
彼が残した記録は貴重な記録と思うので、奥さんにお願いしたら了解を頂き記録の送付提供を頂く事が出来た。
お盆を過ぎて8月も残り少なくなって早速その実現に取り掛かったが簡単には進まなかった。
私の老いた頭と知識のハンディを振り絞り作業を開始以来3日目にしてようやくPDFファイルをアップロードする方法
を見ける事が出来た。
記録の変換作業をしながら彼の記録を所々読ませて貰うと、雪の毛猛山始め浅草岳、日白山、平標山、守門岳等々
の下見をしたりGPSにルートを入れる作業を含めた事前の作業を繰り返している事が伺えた。
時として撤退を余儀なくされ次につなげる作業をしながら、私も毛猛山始め妙高火打山、浅草岳、日白山、平標山、
そして守門岳と沢山の雪山を楽しませて貰った事にあらためて感謝の気持ちが込み上げて来た。
そして、奥さんは雪山には行かないと聞かされていたが、雪山シーズン以外は谷川連峰や魚沼三山の縦走等、厳
しいコースを夫婦で歩き山でも良きパートナーとして共に自然を楽しむ記録を拝見して胸が一杯になった。
笠原さんは、ようやく自由時間を得て夫婦でこれから登りたい山を沢山計画していたであろう事が十分に伺える。
山仲間の一人として無念でならない。
記録の中には誰もが経験をしている事であるが、危険と隣り合わせを乗り越えたものもあり、私もこれからの山行の
参考にしながら彼の数々の教訓を生かしたいと思っている。
またこの記録を読まれた人は奥さんへの励ましのエールを送ると同時に、山への事前準備とコースやタイム等々を
参考にして頂ければ幸いと願っている。
この記録を笠原さんも懐かしく開きながめてくれている事と思う。
いずれ彼と再会の折にはこの記録を思い起こしながら楽しく山談義をしたいと思っている。
合掌
高橋 誠一(まこと)
*尚、記録のすべてを載せる事が出来ませんでした。
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